天王町紹介

本町三丁目天王町

(第260年番町)

天王町を正式には年番町と言います。それは明治以前まで仏教の守護神であった牛頭天王祭礼又は祇園祭、祇園会と言っていました。明治新政府になって廃物希釈で神号はスサノオノミコトに改め、神社名も八坂神社と改名したのです。
しかし長年の習慣は簡単に変わらず、神輿を守護し祭礼を取り仕切ることから天王町という言葉は今でも使うことが多いのです。また天王神輿とか天王様も同様です。
桐生では正式には年番町と言います。制度として1759年(宝暦9)から始まりましたので今年の二丁目は259年番町ということになります。その他に踊り番、迎え番、送り番は当番町とも言い、2町会は休み番となり合理的な運営をしてきたのです。しかし社会や経済状況により派手になったり、地味になったりしてきたことは言うまでもありません。

2丁目大幟

 

 
書家は頼支峰(頼山陽の二男)
明治7年の作品です。 幟の布地は1,9m×14,8mが2枚(通称5反幟)。大幟は日本で最大級の高さ20mという二本一対が立てられます。
現存するのは1、2、4丁目が保存していますが、今年2丁目が天王町を記念して戦後初めて披露されます。
どのような光景かそれは見事なものです。お楽しみに!
書かれている文字は
護国賜盈豊 臨民降福澤
(ごこく えいほうをたまい・りんみん ふくたくをふらす)と読みます。
 

木鼻彫刻(左右一対)

 
 

 
写真の彫刻は大変貴重な彫刻です。
幟杭(のぼりくい)とは杉丸太を立てる為に二本の木材の杭で支えたもので、その上部にはめ込んだ飾りの彫刻です。県内では玉村町に簡単な木鼻彫刻はありますが、これほどの精巧な作品は桐生以外見たことがありません。
一見の価値ありです。