天王町紹介

本町二丁目天王町

(第259年番町)

天王町を正式には年番町と言います。それは明治以前まで仏教の守護神であった牛頭天王祭礼又は祇園祭、祇園会と言っていました。明治新政府になって廃物希釈で神号はスサノオノミコトに改め、神社名も八坂神社と改名したのです。
しかし長年の習慣は簡単に変わらず、神輿を守護し祭礼を取り仕切ることから天王町という言葉は今でも使うことが多いのです。また天王神輿とか天王様も同様です。
桐生では正式には年番町と言います。制度として1759年(宝暦9)から始まりましたので今年の二丁目は259年番町ということになります。その他に踊り番、迎え番、送り番は当番町とも言い、2町会は休み番となり合理的な運営をしてきたのです。しかし社会や経済状況により派手になったり、地味になったりしてきたことは言うまでもありません。

 

祇園屋台組み立て完了


 

二丁目屋台の全容が現れました。袖が付き、彫り物も全て組み終わり今夜の神楽が楽しみです。それにしても飛龍が中虹梁に確か13頭もあるのはここだけです。
 

いよいよ!


 

 

今年の天王町は力が入っている。
町内中を祗園をテーマにしていることが良く分かりますね。
 

二丁目屋台

桐生祇園祭・二丁目屋台
 
桐生祇園祭・二丁目屋台

 
桐生に現存する6台の屋台はほぼ同規模のものです。間口7,5m 高さ6,6m   
奥行6,4mという巨大なものです。
その特色は元来、舞屋台とか踊屋台とも言い、歌舞伎や義太夫、狂言などを楽しむための舞台なのです。中程には襖が12枚、奥の控えの間の2階は下座といい囃子などの音曲の部屋です。舞台の様子を見ながら演奏し御簾となっています。まさに動く歌舞伎座なのです。
 
彫刻師 高松政吉(三代石原常八の二男)
襖絵  古川竹雲 富士之図12枚、花鳥之図12枚の2種あり(田崎草雲の弟子)
扁額  高林五峰 第二街、縦楽、共に彫刻額。(祇園会の扁額は寂光院に寄進)
 

二丁目屋台組み立て中 7月31日

桐生祇園祭・二丁目屋台
 
桐生祇園祭・二丁目屋台

 
本体に袖がつきました。
これで間口が7,5mになります。
  

二丁目屋台組み立て中

 
7月16日から蔵出し、車輪組み、土台組立てを始めました。
大勢の人手が必要なため何日にもわたっての作業です。
 

 

 

2丁目大幟

 

 
書家は頼支峰(頼山陽の二男)
明治7年の作品です。 幟の布地は1,9m×14,8mが2枚(通称5反幟)。大幟は日本で最大級の高さ20mという二本一対が立てられます。
現存するのは1、2、4丁目が保存していますが、今年2丁目が天王町を記念して戦後初めて披露されます。
どのような光景かそれは見事なものです。お楽しみに!
書かれている文字は
護国賜盈豊 臨民降福澤
(ごこく えいほうをたまい・りんみん ふくたくをふらす)と読みます。
 

木鼻彫刻(左右一対)

 
 

 
写真の彫刻は大変貴重な彫刻です。
幟杭(のぼりくい)とは杉丸太を立てる為に二本の木材の杭で支えたもので、その上部にはめ込んだ飾りの彫刻です。県内では玉村町に簡単な木鼻彫刻はありますが、これほどの精巧な作品は桐生以外見たことがありません。
一見の価値ありです。